2016年2月14日日曜日

チョコレート

 1521年、アステカ帝国はスペインによって滅ぼされる。その後、1528年にアステカ人のいうショコアート(にがい水)、つまりチョコレートがスペインに持ち帰られた。この苦いチョコレートの飲み物にスペイン王カルロス1世が砂糖を入れてみたところ、にがい水は甘さとほろ苦さを持つなんとも美味しい飲み物に大変身。瞬く間にスペイン王室で大流行となったという。

 チョコレートの秘宝のレシピは、その後1607年にイタリアに流出。貴婦人の飲み物としてイタリア、フランスに広がっていく。その頃のチョコレートは液体だったので、ローマ教皇庁の枢機卿は断食の時期にも飲むことを許したというくらい、上流階級のお気に入りになっていた。

 チョコレートが固形化されたのは1847年になってから。イギリスのフライ社が、カカオにココアバターと砂糖を加えて「食べられるチョコレート」を作った。さらに、1875年にはスイス人のダニエル・ペーターが、ネッスル社のアンリ・ネッスルが作った粉ミルクを混ぜてミルクチョコレートが出来上がった。

 日本では1878年、東京の風月堂が「貯古齢糖」と言う名前で売り出したという。

 以上の歴史は『砂糖の世界史』 川北 稔(著) 岩波ジュニア新書に書かれていたものだ。

 この本の中では、チョコレートを神秘的な飲み物と考え、くすりとして扱っていたともある。今の時代、チョコレートをくすりと信じる人はいないと思うけど、チョコレートを売る会社は「食育」と絡めて宣伝しているところもあるのが気になっていた。今回改めて企業のホームページを見たら「チョコレートをどんどん食べましょう」といったメッセージは薄くなり、チョコレートの歴史や文化を通して食をみつめるという方向性になっていてちょっと安心したのだった。

2016年2月11日木曜日

ふぐとテトロドトキシン

  2月9日は河豚の日.(ブログアップが1日遅れてしまった。)

 寒いこの季節、フグ料理を楽しみたいけど、フグは毒を持つこともよく知られている.この毒の名はテトロドトキシン.テトロドトキシンは神経毒で,誤って食べると呼吸困難で死亡することもある。平成26年の統計ではフグによる食中毒は27件33名発生し1人が死亡となっている。
  
 テトロドトキシンは1960年代に日本で化学構造が解明されたが、煮ても焼いてもその毒性は消えず、また分子量が小さいので解毒剤を作ることもできない。仕方がないのでふぐの調理は免許制としてふぐ毒による食中毒を防ぐ手立てとしている。

 このテトロドトキシンが神経伝達の仕組みを解明するのに一役買っていたことを『神経とシナプスの科学』杉晴夫(著)講談社ブルーバックスで知った。いや、もしかしたら、たぶんきっと、学生時代に聞いていたのだろうけど、もう忘れていた。

 
1950年代にはその存在が疑問視されていたイオンチャンネルの実体が解明されるきっかけとなったのは、わが国におけるフグ毒の研究であった。 
『神経とシナプスの科学』杉晴夫(著)講談社ブルーバックスより 


 イオンチャンネルとはある特定のイオンが細胞内に入るための通り道のことだ。チャンネルはchannelは水路と言う意味なので、通り道を水路に例えられることがある。なお、channelの発音記号はtʃˈænlなので、日本語訳はチャネルと表示されることの方が多いと思う。


 私たちが何かを感じたり、体を思うように動かしたりできることさえもタンパク質のおかげだ。人体では、神経細胞のネットワークが、脳や神経系で情報をやりとりしている。やりとりされる信号の正体は、神経細胞の内と外での電位差(電圧)の変化だ。イオンの流れをコントロールして、この変化を生み出すのは、「水門」のように閉じ開きできるタンパク質である。
『人体は‘なに’で作られているのか』Newton別冊より
 
 
 
 テトロドトキシンはナトリウムチャネルにはまり込み、ナトリウムが神経細胞内に流入するのを阻害する。そのため神経の活動電位発生が起こらず、神経麻痺を引き起こすのだ。日本で研究がなされたテトロドトキシンだが、これを使っての活動電位の研究は残念ながら国内では進まず、米国に渡った楢崎敏夫によって諸外国に広められたという。
 
 などと、もたもたと書いているうちに日付が変わって11日。2日遅れの河豚の日の話題になってしまった。

2016年2月3日水曜日

節分、大豆の効果は腸内細菌次第

 節分といえば豆まき。
 大豆は健康によい食べ物というイメージがある。世の中には健康によい食べ物に関する情報があふれていて、良いと言われるものは全て試してみたくなる人もいるようだ。中には、それはどうなの?と言ったニセ健康情報もあるが、大豆に関して本当のところどうなのか。

 そこで『食をめぐるほんとうの話』(講談社現代新書)をめくってみた。

 大豆はタンパク質が豊富で、大豆イソフラボンが含まれている。大豆イソフラボンはポリフェノールの一種で、抗酸化作用をもつ。また女性ホルモンであるエストロゲンとよく似た作用があるので、エストロゲンが減少する更年期以降の女性にとって大豆イソフラボンは魅力的だ。
 ではどのくらいの量の大豆イソフラボンをとればいいのか、というと豆腐一丁で十分量がとれるという。これならサプリメントに頼らずとも気を付けていれば普段の食事から摂れそうでうれしい。大豆の加工食品は、豆腐以外にも、味噌、醤油、納豆などがあり、上手に取り入れたいものだ。

 そんな大豆イソフラボンだが、なんとこれをとってもその効果が現れない人がいるそうだ。大豆イソフラボンは体内で代謝され、エクオールが産生される。このエクオールこそが、がん予防効果や骨粗鬆症予防効果を発揮するのだが、エクオールを産生できない人が日本人のなんと半数を占めるそうだ。そして、このエクオール産生可能かどうかは、その人の腸内細菌の種類によって決まるというのは驚きだった。

2016年1月30日土曜日

申年の赤い下着と鴨居羊子

 篠田桃江著『103歳、ひとりで生きる作法』を読んだ。最近、ご高齢の方にとって生きることの意味を考えさせられることがあり、そんな折に書店で目にしてなんとなく手に取ったものだ。パラパラとめくってみると、何とも言えない知的な佇まいが文章からにじみ出ている。103歳のまだ半分も私は生きてない。
 
 そんな篠田桃江さん、ちょっとしたことで転倒し圧迫骨折と診断されたと書かれている。そして老人は転んではいけないと強く訴えている。たしかに骨折した後、今までできていたことができなくなり、一気に衰えていく高齢者を、私も今まで何人もみてきたので、これは真実だと思う。

 さて、今年は申年。「申年に贈られた肌着を身に着けると下の世話にならない」 「赤い肌着を贈る、または贈られた肌着を身に着けると病が去る」そんな話を私が初めて聞いたのは、前々回の申年の時だった。母が「新聞に書いてあったから」と急にそんな風習を語り始め、祖父に贈る肌着を買いに一緒にデパートへ行った。私は、そんな風習聞いたことないなと、なんだか半信半疑の気持ちだったけど、たしかに肌着売り場にはあまり目立たないながらも申年の肌着を宣伝するポスターが貼ってあったので、そういうものなんだと感じた思い出がある。

 申年を迎えて、スーパーの肌着売りのマネキンたちは真っ赤な肌着でトータルコーディネートされて飾られているのを見かける。本当にこの風習は昔からあったのか。もしかしたらバレンタインデーのチョコレートみたいに、肌着メーカーが作った都市伝説なのではないかと疑ってみたくもなる。

 そんなことを思ってインターネットで調べていたところ、鴨居羊子さんという人を知った。彼女は日本で初めて女性用のカラー下着をデザイン、販売した方。またエッセイも数多く残されていて、『女は下着でつくられる』鴨居羊子著(国書刊行会)は一度読んでみたい。

 鴨居羊子さんがカラー下着をデザインしたのは昭和31年のことだ。偶然にも昭和31年は申年。となると、それ以前の申年には女性用の赤い肌着を手に入れるのは事実上困難だということになる。赤い腰巻やズロースならあったのかもしれないけど。もっとも赤い肌着でなくても、とにかく肌着であればよし、とされている説もあるので、それならば昔からこの風習があったとしても問題ないわけだが。

 なんて事をボーっと考えながら、申年には赤いワインをプレゼントすると一生美味しく食事をとることが出来るなんていう風習ができるといいな、と思ってる。

2016年1月20日水曜日

太宰治「水仙」と蜆汁

 寒波到来。昨日は雪が舞い散る寒い1日だった。この寒さの中で咲く花と言えば水仙。可憐な白い花が冷たい空気の中で咲きほこる姿に、なんとなく昭和の匂いを感じる。偶然知った太宰治の小説「水仙」は、高校の国語の教科書(筑摩書房)にも載っていたことがあるらしい。
 ここでは小説の内容は割愛するが、太宰が新年にお金持ちの知人、草田惣兵衛氏の家に招かれたときの夫人、草田静子の様子を語るこんな場面がある。
僕は、もうそれ以上お酒を飲む気もせず、ごはんを食べる事にした。蜆汁しじみじるがおいしかった。せっせと貝の肉をはしでほじくり出して食べていたら、
「あら、」夫人は小さい驚きの声を挙げた。「そんなもの食べて、なんともありません?」無心な質問である。
 思わず箸とおわんを取り落しそうだった。この貝は、食べるものではなかったのだ。蜆汁は、ただその汁だけを飲むものらしい。貝は、ダシだ。貧しい者にとっては、この貝の肉だってなかなかおいしいものだが、上流の人たちは、この肉を、たいへん汚いものとして捨てるのだ。なるほど、蜆の肉は、おへそみたいで醜悪だ。僕は、何も返事が出来なかった。 
                                        引用 太宰治 『水仙』
 
 お酒のあとに蜆汁が出てきたのは、シジミが飲み過ぎに効くという言い伝えがあるからなのだろうか。こんなところからも、この日太宰が草田家で歓待された様子が伺えるな、と感じた。
 
 さて、シジミに含まれるオルニチンというアミノ酸が二日酔いを予防するとはまことしやかにささやかれているけど、本当だろうか。岡田正彦著『効く健康法 効かない健康法』には「ウコン、シジミ、牛乳を飲めば二日酔いにならない?」と題され、そのようなデータはなく、特段の効果があるかは不明とされていた。

 二日酔い予防には、アルコールを飲むときは食事と一緒にとること、水分をしっかりとること、そして当たり前すぎることだけど飲み過ぎないのが一番ということか。

 
 

2016年1月11日月曜日

ランゲルハンス島の午後

  今日は成人の日。村上春樹の短編小説に「バースデイ・ガール」という作品がある。中学3年生の国語の教科書(教育出版)にも載っているので、成人となった方の中にはこれを読んで勉強した記憶がある人も多いのでは。
 20歳の誕生日を迎えた女の子に、アルバイト先のちょっと秘密めいたオーナーがひとつだけ願いごとをかなえてあげると言ってくれる。小説の中では彼女がその時何を願ったのかは明らかにされず、それが本当にかなったのか、それを願ったことを後悔していないのかなど、自分だったらどうしただろうかと色々考えさせられてしまう。そして新成人の皆さんは、どんな願い事をするのか。そんな村上春樹の誕生日は明日、1月12日。

 村上春樹のエッセイに ランゲルハンス島の午後 という、一風変わったタイトルのものがある。女性誌CLASSYに連載された作品をまとめたもので、安西水丸が絵を描いていて、ちょっと絵本のような仕上がりになっている。この本のために書き下ろされた作品「ランゲルハンス島の午後」はこのエッセイの最後に載っている。

 生物の教科書を忘れた中学1年生の男の子が、走って家に帰って教科書を取り、もう一度学校に戻る途中でちょっと休憩してしまう話。

 「ぽかぽかとした」という形容がぴったりする、まるで心がゆるんで溶けてしまいそうなくらい気持ちの良い春の午後で、あたりを見まわすと、何もかもが地表からニ、三センチぽっかりと浮かびあがっているみたいに見えた。僕は一息ついて汗を拭き、川岸の芝生に寝転んで空を眺めた。ずいぶん走ったんだもの、五、六分休んだってかまやしないだろう。      
ランゲルハンス島の午後(新潮文庫) 村上春樹/著 


                                                      
  なぜ村上春樹はこのエッセイ集に「ランゲルハンス島の午後」と名付けたのだろう。ランゲルハンス島の午後は、心がゆるんでしまいそうなくらい気持ちのよい時間らしい。そこは天国に一番近い島、ニューカレドニアではなく、地図にはのっていない島。ランゲルハンス島は私たちの体の中、膵臓に存在する島。膵臓の組織を顕微鏡でのぞくと、ぽつりぽつりとまるで広い海に小さな島が浮かんでいるかのように見えるものがあり、それがランゲルハンス島だ。

 ランゲルハンス島のβ細胞からはインスリンが分泌される。年末年始の食べ過ぎで、大忙しだったランゲルハンス島は、そろそろ午後の一休みを求めているのかもしれない。

 

2016年1月7日木曜日

七草粥とジアスターゼ

 七草粥は1月7日の朝に食べるのが本当らしいが、我が家の朝は時間との勝負なので、七草粥は夕食のメニューとなる。でも毎年7日お昼の病院食は七草粥で、もちろん今日の昼食もそうだった。正直言うと夕食は普通の白米を食べたかったかも。
 さてこの七草粥、お正月のご馳走で弱った胃を休めるためだとか。七草のスズナ(カブ)、スズシロ(大根)にはジアスターゼという消化酵素が含まれてる。そういえば、お餅を食べる時大根おろしをつけて食べると胃もたれしない、という話を聞いたことがある。

 明治27年に高峰譲吉は酒造りに使う麹菌からジアスターゼを抽出して、これを消化薬「タカジアスターゼ」としてアメリカで売り出したところ大成功。ジアスターゼは世界中で愛用されるようになったとのこと。
  実は、「吾輩は猫である」にもこのタカジアスターゼを飲む様子が出てくる。夏目漱石自身も胃潰瘍に悩まされこの薬を飲んでいたそう。
 
輩の主人は滅多めったに吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎をのぞいて見るが、彼はよく昼寝ひるねをしている事がある。時々読みかけてある本の上によだれをたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色たんこうしょくを帯びて弾力のない不活溌ふかっぱつな徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食ったあとでタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。 
      引用元 夏目漱石 『吾輩は猫である』
 
 


 世界的大ヒットとなった「タカジアスターゼ」を開発した高峰譲吉は、この他にも「アドレナリン」の発見というこれまた偉大な業績を残しているが、この辺りのことはこちらの本にも詳しく紹介されている。
 
 
 
『ニッポン天才伝 知られざる発明・発見の父たち』 上山明博著 朝日新聞出版
 

 

 最後に、ジアスターゼは医療現場ではアミラーゼと呼ばれている。アミラーゼはデンプン分解酵素で、私たちの体では唾液と膵臓から出る膵液に含まれるお馴染みの酵素だ。