2016年1月6日水曜日

教養不足は自覚しているけど、教養って何?

 医学部に合格し、医師国家試験にも合格し、内科認定医にも合格し、糖尿病専門医試験にも合格したけど、教養のない私。なんでこんなに教養がないのだろう。もっと本を読んだら、教養が身につくのだろうか。
 なんとかしないといけない、と思っていたところ、1月1日のkindleの日替わりセールで おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?.池上彰/著.NHK出版新書 が紹介されいたのでポチってしまったわけだ。

 人生をある程度生きてきた読者のあなた。いま改めて勉強し直したいと思ううようになった心の根底には、「自分はどこから来て、どこへ行くのか。自分はいまどこにいるのか」という問いかけがあるのではないでしょうか。その問いかけは、あなただけのものではありません。過去の人類が、向かい合ってきた問題でもあります。問題への真摯な取り組みが、「リベラルアーツ」という学問体系を築きました。リベラルアーツとは、その時々の「現代の教養」として発展してきました。

 自分の心の根底に「自分はどこから来て、どこへ行くのか。自分はいまどこにいるのか」という問いかけがあるのか?と問われると、そんな気もするしそうでない気もしたりする、というのが正直な気持ち。『自分はどこへ行くのか』だと主体性なく流されていくような印象なので、私的には『自分はどこへ行くべきか、行こうとすべきか』といったものの方がしっくりくるかな。

 とにもかくにも、教養をつけるためには「リベラルアーツ」というものがポイントとなるらしいことは分かった。ギリシャ・ローマ時代のそれとは別に「現代の自由七科」は①宗教 ②宇宙 ③人類の旅路 ④人間と病気 ⑤経済学 ⑥歴史 ⑦日本と日本人 だということだ。特に⑤⑥が弱い私。重点的に鍛えたいところだ。

 一方で、ここには美術や音楽が入っていないことに気づく。美術や音楽への造詣が深い人は、教養のある人だと思っていた。どうやら「教養」というのは「常識」とか「博識」とは違って、自分自身と向き合い、自分の立ち位置を確認し、目指すべきゴールが見えている人、ということみたいだと理解した。そこへたどり着く道のりの中で多様な価値観を知ることとなり、自分だけでなく他人の気持ちを理解することができるような人間に成長することができるのだろう。

 読書を通じて、教養を高めていく。なかなか奥が深そうである。

2016年1月4日月曜日

衒学的(ペダンティック)に読書

 もっと本を読もう、と思った。

 理由の一つは、読んで初めて知ったことを看護学校の授業や講演会などで小話的に使っていけたら、講義の内容にも深みが出て興味をもってもらいやすくなるかなと考えてみたからだ。でも、なかなか読書のための時間を作ることは難しい。読書家としても有名な大阪大学の仲野徹教授は、お忙しいお仕事の中、1週間に10時間読書をするとどこかで読んだ。それなら私は、1週間に5時間を目標にしようとなんとなく思った。

 さあこれからどんな本をどんな順番で読んでいこうか、と計画を練っていたところ、偶然手にした本が 『読書力』 齋藤孝/著.岩波新書. だった。この本にはまず

読書好きと「読書力がある」は違う。もちろん一致する場合も多いが、好きな推理小説作家の作品だけを読み続けている人は、読書好きとは言えるが、読書力があるという保証はない。 

と書かれている。 自分に読書力があるかどうかは別にして、たしかに私のまわりでも読書好きという人達が紹介する本は流行りの小説やミステリー、または自己啓発本ばかり目立ち、私が好きな新書や科学的興味をそそられる本の紹介が少ないと感じていた。だから、読書好きと公言する人たちと本を話題に会話しようとしても、もともと読んでいるジャンルが違いすぎるので会話が成立しないことがほとんどだった。
 でもこの本を読んで、まずは今のままのスタイルの読書でいいんだよと言ってもらえたようで安心した。しかし、同時にこの本にはこうも書かれている。

さて、私が設定する「読書力がある」ラインとは、「文庫百冊・新書五十冊を読んだ」というものだ。「力」を「経験」という観点から捉えた基準だ。

 新書を今まで何冊読んだか数えたことはないけれど、たぶん五十冊に届いていると思うが、百冊には及んでない。新書が好きと言っても、所詮そんなもの。そして文庫に関してはお恥ずかしながら五十冊にも満たない。私の読書力はまだまだということだ。 そんな私が、読んだ本の知識をみせびらかすようなことをしてもいいのだろうか?

ペダンティックと言う言葉がある。衒学的という意味で、学問や教養を必要以上にひけらかす態度のことだ。

 あら、まさしく私が本を読んで、授業や講演会でしようとしていることだわ、と恥ずかしくなってしまった。でも、この後に続く文章を読んでいくと、本の内容を会話に入れてはいけないという意味ではなく、もっと会話の中に本の話を取り入れて、それが相手を刺激することもあれば自分が刺激されることもある、そいった読書欲を高める会話をしようではないか、ということだった。それどころか、せっかく読んだ本の内容を忘れないために次のような方法をすすめている。

そのために私が効果的だと思うやり方は、本を読んだらとにかく人にすぐその内容を話すということだ。読んだ直後や読んでいる最中ならば、何とか話の内容は覚えている。知識がまだホットなときに、人に話してしまうのだ。

 つまり、本を読んだらそれを人に話すことは相手の読書欲を刺激したり、自分の記憶の定着にも役立つわけだから、これから私がこのブログでしようとしていることも意味があるのだと自分自身を納得させた。ただし、読んで頂いた方の読書欲が刺激されるかどうかは私次第なので、そこのところは分からないけど、とにもかくにも始めてみようと思っている。